わが子の「できない!」に「なんでできないの!?」と思ったことが幾度となくあります。そうすると「できない」がひどく残念なことに感じてしまいがちですが、じつはステキな力を持っていること、ご存じでしたか?
“できない”には、成長に重要な役割がある
学びには、知識という土台があってできること、生まれつき器用にできることなど、いろいろなことがあります。
“できない”ことはマイナスだと捉えがちですが、実は、この”できない”こそが人の成長には重要な意味を持っています。
“できない”ことを自覚することはいろんなことが“できる”ようになるための出発地点になるのです。
“できる”っていいことばかり?
“できる”ことはいいことばかりでしょうか?そう聞かれるとほとんどの人が「そうだね」と答えます。
ボタンをとめる、ハサミを上手に使う、とび箱を簡単にとべる、早く走れる…なんでもあまり困らずに習得できると、親心としてなんだか「よかった」と思ってしまうものです。
でも、実はそうでもないのかなと思える体験がありました。それは、心の成長にも大きく関わっていたできごとでした。
器用な男の子と不器用な女の子
とあるキャンプの事前研修会で、自分の箸を作る研修がありました。リーダーの男の子はとても器用で売り物のような箸を短時間で作り上げました。
逆に同じくリーダーの女の子は何度も失敗しながら、男の子の3倍以上の時間をかけ、ちょっと太っちょの箸を作り、それでも満足気にしていました。
次のキャンプ本番の日、ある事件は起こります。参加した子が上手く箸がつくれないのです。器用な男の子が意気揚々と教えていましたがなかなかうまくできません。ついに「なんでわかんないんだよ、簡単だろ」と言ってしまい、その参加者を泣かせてしまいました。男の子にはその参加者がなぜできないのか、本当にわからなかったのです。
その時でした、不器用だった女の子がその参加者の側に行き、自分の箸を見せながら「私も頑張ったんだけどこんな感じよ!」とにっこり笑ったのです。
そのあと、女の子はその参加者とどうにか箸を仕上げ「こんなにがんばったんだから、これが君の世界で1番の箸だよ!わたしのもね!」と言ってお互い喜び合っていました。
“できない”体験があったからこそ分かることがある
器用な男の子は、自分はうまく作れるので、きっと教えることも上手だと思っていました。ですが実際は作成時に自分が困っていないので、できない子の気持ちや、どこでつまづいたのかに気づいてあげることができませんでした。
逆に女の子はできない経験をしたからこそ、参加者のできない気持ちに寄り添うことができました。すんなり共感できたのです。
また、つまづいた体験があったからこそ、参加者が上手くできない原因に気づいてあげることもできたのかもしれません。そして自分が時間をかけたのと同じように、何より粘り強く頑張った参加者の努力の部分にスポットを当て、一緒に喜ぶこともできたのです。
わからないことがわからない。サポートする側の言葉がけが気づきを与える
小さな子どもはできないことに対して、なぜできないのか分からないことが多々あります。どこがわかっていないのか、わからない部分がわからないのです。
しかし、先ほどの箸づくりのように、だれかが一緒に活動し、こうかな、どうかな…私の時はこうだったけど…と話しているうちになぜできないのかに気づけることがあります。
例えば、積み木の一部分が斜めになっていて、何度上に重ねても倒れてしまう時。そこが斜めだと気付き、さらに、そこが斜めになっていたら倒れるのだと気付くと、そこを平らにして積めるようになるということがあります。
その時、答えをすぐに「ここが斜めよ!斜めだと倒れるのよ!」と教えるのではなく、ひとつずつ確認しながら本人が気づけるようにサポートするような声掛けができると自主性や思考力が育ちます。
“できない”には様々な力を育てるのに必要なヒントがたくさん詰まっているのです。
「できない!」が引き出す「できる!」力
できないと気づくことは、子どもが成長する大きなチャンスです。
できるようになるために、努力と創意工夫をする力が生まれます。体験を学びに変えることで思考力も自主性も育ちます。ともだちの「できない!」に優しくできる心も育つのです。
わが子の“できない”ことはマイナスではなく、いろんな”できる”力を伸ばしてくれる新しい出発点だと思えると、今まで何となく気にかかっていた子どもの育ちが、ちょっとステキなものに感じてきませんか?
私が大学生の時、体育の先生が
「できなかったという宝物を大切にしなさい」
といいました。できない時の経験や感情をを忘れずにいてもらいたいとの言葉でした。
その言葉の通り「できない」ことは宝物です。「できない」をきっかけに、大きく成長する子どもの姿を一緒に見守りましょう。