駅前のイルミネーションを見た娘が「今年はクリスマスツリー買わないの?」と一言。娘が生まれ育ったハンガリーでは、毎年もみの木を買って飾っていました。娘の素朴な疑問が日本との文化の違いを説明する良いきっかけになっています。
「みんなと同じじゃなくてもいい」を簡単に伝える方法
ハンガリーで生まれ育った娘も日本で暮らし始めてもうすぐ一年。季節を一巡りして色々な発見があったようです。私が気にもとめないような日本とヨーロッパの文化の違いをみつけては教えてくれます。
そんな娘は、文化の違いを「どちらが正しいか」という論点には立たずに、ただ“違うね”と受け止めています。
恥ずかしながら私自身は、夫婦間でもちょっとした習慣の違いで「自分が正しい」と主張したくなることはたくさんあるのに、娘にはそれがない。それは、多国籍の子が集まる幼稚園で過ごしたことや、娘自身が外国人として生活していた経験からくるのかもしれません。
「私もマル、あなたもマル」この考え方は、自己肯定感に通じるものがあると感じました。自分のことを肯定できている人は、相手のことも無理なく尊重できるようになり、その結果良好な人間関係につながります。
ここから自己肯定感を高めるヒントが見つかりそうです。
違って当たり前という考えが「あなたもマル、わたしもマル」という自信に繋がる
人の性格を形成する要素は二つあります。生まれたときからそなわっている個性と、成長する過程で身につける力です。小さい頃は人見知りが強かった人でも、仕事でやむを得ずプレゼンを繰り返すうちに人前で話すのが得意になったという話はよくあります。
成長する過程で身につける力は、価値観や環境からも大きな影響を受けます。その幅は広く、友達や先生のように学校で接する人が増えたり、テレビや本から感銘を受けたりもします。
それまで知らなかった新しい価値観に触れたとき、自己肯定感が低いと「自分が間違っている」と感じたり、他の誰かのようになろうとしてしまうかもしれません。誰かに憧れて自分を磨くのは素敵なことですが、自分を否定してしまうのは悲しいことです。
幼少期に「自分と誰かは違ってあたりまえ」「自分は自分でOK」という認識を育むことの意義はここにあると思います。
実録:園児の会話。名前が違うのは当たり前。肌の色も、目の色も。
娘が幼稚園の頃、異なる国のお友達とサンタクロースの話になりました。
娘「日本では12月24日にサンタさんがくるらしいよ」
Aちゃん「ハンガリーでは12月6日にセントミクロシュがお菓子をくれるよ」
Bちゃん「ポーランドも6日だけどミコワシという名前で枝をもってくるよ」
Cちゃん「ブラジルのサンタさんは赤い水着で水遊びしているよ」」
このように、それぞれの国のことを教えてくれます。
だれも「それは違うよ」と言わずに「へーそうなんだね!違うけどちょっと似てるね」などと会話が続き、違うことを当たり前に受け入れていました。
この子どもたちは、みんな違う国から来たという大前提があるため、違いを当たり前に受け入れています。肌の色の違いも、目の色の違いも、名前が違うのと同じくらい「違うのが当たり前」の感覚でした。
自己肯定感アップの鍵は、お母さんと子どもの違うことろ探しから
私たち親の世代は「個性を大切にしましょう」と言われたはじめた時代です。それも当時は新しい価値観でした。子どもたちが大人になるころにはどんな価値観が生まれているのか、想像もつきません。
そんな未知の世界で子どもが幸せに生きていくためにわたしたち親ができることは「私もマル、あなたもマル」と多様性を受け入れ自分らしく過ごせる自己肯定感を高めることだと思います。
その方法の一つとして、いろいろな価値観や違いに触れることはとてもおすすめです。
まずはお母さんとお子さんの違いなど、身近なことから目を向けてみること。
「好きな色はなぁに?」
「お母さんは虫を触るのが好きじゃないの」
「〇〇くんは虫を捕まえるのがすきなんだね」
「酸っぱいみかんっておいしいよね」
のように、普段の会話の中から”違い”をみつけてみましょう。違いを見つけるときのキーワードは「そうなんだね」です。
否定しないのはもちろんですが、無理に同調する必要もありません。あなたはそんなふうに感じるんだね、と受け止めていることがつたわるように「そうなんだね」と言って受け止めましょう。そこから会話が広がります。